4年前のこの日、この時間、いろいろな面で日本全体が非日常に包まれた日だと思います。
私はこの日はお休みを取っていたのですが、数日後の会議に使う書類を作成しなければならなかったため、午後からのんびりと出勤し、職場でパソコンとにらめっこしながら書類を作り、印刷したものを確認していました。
2011年3月11日14時46分18秒。
「あれー、また揺れているねー。最近、地震多いね。」と隣の同僚と話していたら…、だんだん揺れが大きくなり、今までに体験したことのない大きさになり、机の下に身を隠しました…。
生まれて初めてでした、机の下に身を隠したのは。
そして、シャレにならん揺れだと思いながら、携帯電話とかを入れたかばんを抱えて、揺れがおさまるまで待っていました。
揺れ自体はほんの数分でしたが、長かったですね…。
揺れがおさまってからまず目に入ったもの。
それは、コーヒーまみれになった書類の無残な姿でした… orz orz orz
書類の状態に「んもー」と思いつつ、まず確認したのが
・ネットがつながるか
・トイレの水が流れるか
でした。
ネットがつながるかどうかを確認したのは、徒歩での帰宅のケースに備えて地図を印刷できるかどうかを把握したかったため。
トイレはもちろん、自然現象には逆らえないからです。
この二つを確認した後、オット氏と母に電話をかけましたが、当然のことながらつながりにくくなっていました。
何度かかけなおしたところ(←って、これって、一番いけないんですよね)、オット氏につながり、無事を確認。
オット氏、母の様子も見に行ってくれていたので、オット氏経由で母の無事も確認できました。
オット氏、母国での地震経験者です。
なので、パニックにもならずいろいろと対処してくれていました。
そうこうしているうちにJR東日本が全列車の運休を発表。私、帰宅困難者になってしまいました…。
この日は夜7時か8時ぐらいまでどうするかうだうだ迷いつつ、結局は徒歩での帰宅をすることにしました。
方向が同じ人と一緒に、てくてく歩いて帰りましたよー。
職場から自宅までのルートを書き込んだグーグルマップを片手に持って。
グーグルマップでは5時間ぐらいとのことでしたが、実際には7、8時間ぐらいかかりました。
そりゃ当然ですよね。途中でファミレスでエネルギー補給したり、疲れがたまってくればスピードも落ちますから。
基本的には大通りを通っていったのですが、車は渋滞で動かない、路線バスは超満員かつ渋滞のせいで動かないし。
徒歩で帰宅した人は結構多く、iPadとにらめっこしながら歩いている人がいたり、同じくグーグルマップを片手に歩いている人がいたり。
壁が崩れたマンションがあったり、ファミレスでは、お客さん、みんな疲労困憊だったり。
結局自宅にたどり着いたのは日付が変わった午前2時半ぐらい。
最後の最後で流しのタクシーが拾えて、文明の利器のありがたさを痛感しました。
タクシーが拾えていなかったら、着くのは午前4時ぐらいになっていたかもしれません。
この日までに「大地震が起こったら」なんていう話をたまにしたりしていましたが、まさか、私が生きているうちに経験するとは思いもしませんでした。
でも…、数日続いた筋肉痛はつらかっす。
今、こうやって割と冷静に書いているなように見えるかもしれませんが、あの時は内心、大パニックでした。
テレビからは津波の様子が流れているし余震はあるし、帰宅手段はなくなるし。
この経験で徒歩での帰宅ルートがなんとなく分かりましたが、もう二度とこんな経験はしたくないです。
経験しなくてもいい日々が続くこと、こんなに幸せなことはありません。
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